常磐線で帰る。

25歳のブログ

自分推し

自分が仕事をしている横の休憩スペースで、推しの話をしている声が聞こえたので聞き耳を立てる。推しがいっぱいいて、楽しいけれど破産しそうだとか、誰々のどこがキュンだとか、そんな話をしている。

推しがいるかと言われたら、誰と答えればいいかわからない。俳優とかアイドルとか、かっこいいなーとは思うけど、イベントに行くとか写真集を買うまではハマらない。昔からずっとそうな気がする。二次元のイケメンに恋をすることもない。心躍る展開だとかニヤニヤが止まらない立ち絵だとかもなんとなくはわかるが、次の日には忘れているレベルだ。もしかして、何も好きになれないのか私は?

と思ったけれど、友だちだとか、恋人だとか、話したことがある人に対してはめちゃくちゃ興味が湧く。ネットストーカーか?ってくらい固執することもある。昔の友達はずっと好きだし、恋人のことは全部知りたい。

そうなると、自分に近い存在にしか興味がわかないというのが私の性格なのかもしれない。手の届かないラインの存在は、最初から目に入らないのだ。

バンドマンだって、ただステージを見ているならそれだけな気がする。その人の生活まで興味が湧かない。でも一度つながると気になって気になってしょうがない。お金ならいくらでも出すから、会いたい。

お金を出しても会いたいというのは、いわゆる推しに貢ぐ、に似ているけれど、リターンが明確でなければ全くお金を出せない。友達と遊ぶのも恋人とデートするのも、好きなバンドを観にいくのも、絶対に私が楽しいとわかっていなければお金は出せない。それにお金出して、私に何がある?と考えてしまう。逆に、私に何かある!幸せになれる!と思えばいくらでも使える。

多分、私は、自分推しなのだと思う。自分にとっていいものには興味深々だし、自分に関係ないことはどうでもいい。自分の人生ですれ違うことのない芸能人は知らない。自分と過ごしてくれる人のことはもっともっと知りたいし、プレゼントをして喜んでもらいたい。それで私も幸せになれる。私が幸せになれるならなんでもする。化粧品もお洋服も、私が可愛くいるためならなんだって買う。

私のことを1番推しているのは私だし、私が1番推しているのも私だ。こんなに報われることって無いと思う。

なんの話をしたかったんだ?

どこの誰が推しだとしても、自分が大切にしているものに1番の熱量を注ぐことができるって、素晴らしいことだなって思った。と言うことを言いたかったんだ、と思う。私はたまたまそれが自分自身だっただけだし、二次元でも、アイドルでも、なんでも、幸せになれるならそれで良いのだ。好き!がある人はみんな綺麗だ。

家に帰ったら、昨日のあまりのメルティーキッスでも食べて、自分をちょっと甘やかして、筋肉痛のふくらはぎをマッサージしてあげようと思う。なんだかすっごく眠いんだよな。